「日月神示」から「日月地神示」へと今も降ろされ続けている神示である。
これからのことであるぞ。
人は意の向け方学びて、あらゆるもの生み出せること理解深めて参るのじゃ。
身体も変わるぞ。心のままにいかようにでも変われるのじゃ。
目瞑りて何思うか。思いの世界、心の世界学びて、己に流れ来る念、
思考の出所解るようになりますぞ。
靈意識じゃ。肉体意識から離れ、
靈人としての己何者であるかひとつひとつ解るようになりますのぞ。
心とは何かとはっきり分かる世に変わってゆくのじゃ。心の中とは靈意識ぞ。
すべては心のまま靈の世界より顕れるから、心の世界、靈の世界分かれば、
マコト喜び満ち充つ己となりますのじゃなぁ。
人民も靈人も意の出所解れば、己分かるのぞ。
己、何者であるか、己が分かればうれしうれしたのしたのし晴れやかとなりますぞ。
念、受け取れる器、心じゃ。心とは己が頂く念の容れ物であるのぞ。
念、色々な所から流れ来ては、器に注がれますのじゃ。
甘いもの、辛いもの、苦いもの、酸いもの、塩からいもの。
赤青黄白黒、色々混ぜこぜいたされ、心の味、心の色、次々日々顕れますぞ。
皆々日々変わりますのぞ。己、心の器の中にある念頂いて生きておりますのじゃ。
出所は、色々あると申したなれど、十二ある川より流れ来て注がれますぞ。
一つの川の元は更に五つの川に分かれており、更に元は五つずつどこまでも分かれておりますぞ。
元の元の元を辿れば湧き出ずるは神々様の泉から脈々と流れくるのぞ。
澄んだ水の如き念頂けば澄んだ思いとなりて生きられますぞ。
念の流れ、皆々己で選べますのじゃぞ。分かりたか。
そなたの心の器の中にある念の出所分からねば、
いつまでも流れ来て飲み続けねばならんのぞ。
喜怒哀楽すべてが身体に顕れますぞ。そなたが選んだ飲み物でありますから、
誰彼悪く申されんのじゃぞ。
じゃがちっとばかり裏ありますぞ。
隠れてこそこそと人民らの心の器に流れる川に毒となる念撒いておりた者らがおりましたのじゃ。
長い間、皆々騙されて飲まされ続けておりましたのであるが、人民騙されながらも、旨い旨いと申して喜んで毒飲み続けるようになってしまいましたのじゃ。
そのこと隠れて見ていた真知る者らが、人民あまりに可哀想じゃからと申しお現れなされて、毒抜ける念をば川に撒き始めましたのじゃ。
ゆえに人の念変わり来て、天晴れ清々しい飲み物となりましたのじゃが、飲みたい者しか飲まれん薬であるゆえに、毒に魅入られ飲み続けたい人民には、薬が毒に思えて来ますのじゃ。
己の心の中の念、よくよく味おうて吟味なされよ。
真か偽か薬か毒かじっくり見極めなされ。
真に旨い神々様からの念、皆で頂きなされよ。
望めば頂けますのじゃぞ。目醒める美味さでありますぞ。
ありがたいありがたいうれしうれし神々様のお味じゃぞ。
2016.7.22 大日月地大神大靈団御魂 注ぐ
かみひとねっとわーく和喜相愛 MLより転載
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