古来「巫女」と呼ばれる職能者が政治や軍事などの諸領域で活躍したことはよく知られている。
『三国志』魏書東夷伝、いわゆる『魏志倭人伝』に記述された邪馬台国女王の卑弥呼が用いたという「鬼道」もシャーマニズムと言われている。
また、神代巻のアマテラス、崇神紀のヤマトトトヒモモソヒメ、仲哀紀の神功皇后などもシャーマンの例として挙げられる。
山上伊豆母は、4世紀の三輪王朝、5世紀の河内王朝、そして崇仏派の蘇我氏による大化の改新によって律令制国家となる以前の大和朝廷は、三輪氏や太氏といった巫を司る一族と政を司る大王の共同統治が行われてきたと主張している。
その後も壬申の乱に至るまで、常世神など縁起不詳の神が顕現し世を騒がす事件が起きている。
「日本書紀」には壬申の乱の際に、生霊神という神が顕現し大海人皇子を守護すると神語したという記述がある。
現代でも、アイヌの「トゥスクル」、下北半島の恐山におけるイタコ、沖縄県周辺のユタ(ユタ(シャーマン)とノロ(祭司)とは役割が異なる)など、各地域にシャーマンに当てはまる事例がある。
また都市においてもみられる。また小口偉一は、日本の宗教信仰の基底にシャマニズム的傾向があるとし、新宗教の集団の形成や基盤も同様であるとした。
新宗教の教祖らの中には召命型シャーマンの系統に属すると思われるような人がいるのである。
(ウィキペディア参照)
0コメント