伊勢神宮とは125宮の総称ですが、中でも内宮と外宮のふたつは特に有名です。
内宮と言われる皇大神宮は、第11代垂仁天皇によって創建されておりますが、
皇女・倭姫の巡行の末、靈聴に従い御神体とされる八咫鏡が現在の内宮に安置され、
御祭神を天照坐皇大御神ということになっております。
三種の神器のひとつ八咫鏡に関しては現在も存在するものなのかどうか?
専門家の間では真偽が問われてもいますが、未だに定かではありません。
また明治時代になるまで歴代天皇が誰も内宮へ参拝に来られたことがないにも関わらず、
すべての神社の頂点とされていることもまたひとつ疑問視されるところです…。
伊勢参拝が庶民のブームとなったのは、
比較的歴史は浅く江戸時代からで、
20年に一度の式年遷宮(神を新しい社殿にうつす神事である遷御の儀が行われる)
の度に人気を集めてきていますが、
当時の伊勢は参拝をかねた娯楽街としてもとても有名で、
街はかなり盛えていたという歴史があり、
東の吉原、西の伊勢と一度は行きたい場所としても知れ渡っていたそうです。
さて、今から10年近く前の2008年12月に三重県伊勢市にてライブを主催して頂いた際、
快晴の翌朝、十数名で参拝することになり、伊勢内宮に伺わせて頂きました。
ひと通り参拝を済ませて五十鈴川を眺め参道を皆様と共に歩いていると、
何気ない場所でとある靈人が私に声を掛けてこられました。
靈「あなたにお話したいことがあるのですが宜しいですか?」
私:「はい、どうぞ」 靈「あなたは何をなされていらしたのですか?」
私「わたしは神社を参拝し廻って来ました」
靈「何のために社を廻られて来られたのですか?」
私「…?」 靈「社にはどなたかおられましたか?」
私「古い時代の神主のご靈人がご挨拶なされました」
靈「この地はかつてこのように社が建ち並ぶような場所ではございませんでした。
わたしたちは、昔この地にて平和に暮らしておりました。
山や川や海の恵みをたくさん頂き、
天地(あめつち)の自然の神々に日々感謝を申し上げ、
祖靈たちの教えを伺いながら祀りいたし、
みんなで助け合い共に暮らしていたのです。
祖靈はわたしたちに仰りました。
“この地に来られる方々すべてに対して、
食べ物や飲み物を無償で惜しげなく与えなさい。
そして唄い舞いみんなを喜ばせ大切にもてなしなさい。
そうすれば末代まで平和が護られることでしょう” そして、わたしたちはその教えに従い今に至るのです。」
靈「あなたは真実をお知りになられておられる方です。ですからどうか皆様に真実をお伝え下さいませ。
かつてこの地には社などありませんでした。す
べて後から来た人たちが造っていったものなのです。
わたしたちはこの地から離れなければならなくさせられたのです」
私「こちらはあなた方が先祖の代からずっと住んでいた場所なのですね。事情は分かりました」
靈「あなたがもし真実をお伝え下さるのであれば、わたしたちはみなでお力添えさせて頂きます」
私「あなたはどちら様ですか?」
靈「わたしはサルメと申します」
私「サルメ?」
靈「ではまたお越し下さいませ」
私「ご縁に感謝申し上げます。ありがとうございました」 その日の夜、この旨を御参加された方々にお伝えさせて頂きましたが、皆様驚かれている様子でした。
そして数ヶ月後、偶然にもTVをつけてみると、伊勢神宮の特集番組が流れており、広報担当の方がおっしゃっておられました。
TV「自称靈能者と申しておられるどこかの方が参拝に来られて、社ではない何でもない場所に御神靈が現れて、内宮の歴史に関して偽りを吹き込まれているそうですが、
皆様どうぞ偽物には気をつけて下さいませ。
こちらの伊勢内宮は、歴史が物語っている通り2,000年もの由緒正しき御社でございます。
皆様の御参拝を心よりお待ち申し上げております」
10年ほど前に伊勢内宮参拝した後日、
無知だったわたしはサルメという名前をwebで調べたところ、
古代の祭祀を司る巫女の総称名とあり、
サルメを祀る神社も伊勢には存在していると知りました。
伊勢地方にいた女性シャーマン族の御一方が、
あの時わたしを諭し何かを託し確かに話し掛けて来られたのでした。
ですからその日のことが大きなきっかけとなり、
わたしは神人として人々に真実を伝えながら生きてゆくという覚悟が出来たのでした。
さるめのみこと 弥栄ましませ弥栄ましませ。
ありがたいありがたいありがたい。
2018.3.3 神人 拝
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