寺の住職を呼ばず、経も挙げず、通夜・葬式・初七日の法要もせず、家族だけで故人を見送った檀家に対して、青森県にある曹洞宗○○寺の住職は、葬儀屋を陰で激怒したらしいのです。
「檀家(遺族)をちゃんと指導しろ!!」と…。
今回いくつもの疑問が過ぎりました。
和尚の言う指導とは?遺族をマインドコントロール=思考支配することなのでしょうか?
檀家である遺族は、寺の言い成りにすべて執り行わなければならないものなのでしょうか?
遺族の気持ちをすべて受け入れて、安い予算の中でも丁寧な納棺〜火葬を執り行った葬儀関係者とは裏腹に、陰で嫌みを言いながら恫喝する和尚とは、本当に故人を極楽浄土へと導くことができるものなのでしょうか?
曹洞宗総本山では、そのような教育をしているものなのでしょうか?それとも管理能力がないのか、末寺に対して放任主義なのでしょうか?
今の時代、寺の和尚はそんなに偉い存在なのでしょうか?
そもそもお経とは、それほどまでに故人を導き救うことの出来る有難い言靈なのでしょうか?
葬儀屋とは、やはり寺のしもべとならなければ仕事を回してはもらえずやってゆけないものなのでしょうか?
○○寺の和尚は遺族が頼んでいなくとも、初盆には自宅に来てお経を挙げ10分早々に帰ってゆくらしいのです。もちろん貰うものをもらって…。
檀家の多い田舎の寺は、代々世襲で成り立っているせいかどうか?分かりませんが、代替わりする度に和尚の人間性が堕ちて来ている=傲慢&拝金主義となってきているように感じられます。住職親子の町民の評判は極めて悪いものですが、長いものに巻かれ建前ではへりくだり頭を下げるばかりなのです…。
世の中の全てのお寺が可笑しいとは言えませんが、故人を極楽浄土へ行かせるために年忌法要を必ずしなければならないものと指導し檀家に対して毎回布施を要求する寺が存在しています。氷山の一角ではないでしょうか?
◆寺に読経を依頼しなければならない儀
全ての儀に対して布施と食事代と交通費が必要で
幾ら布施を包むかは各自心持ち次第です。
(※金額は、数万〜数十万円)
*納棺
*通夜
*火葬
*葬式
*納骨
*初七日の法要(7日)
*二七日の法要(14日)
*三七日の法要(21日)
*四七日の法要(27日)
*五七日の法要(35日)
*六七日の法要(42日)
*七七日の法要(49日)
*百箇日の法要(100日)
*初盆(四十九日過ぎの初めての盆)
*一周忌(満1年目の命日 )
*三回忌(満2年目の命日 )
*七回忌(満6年目の命日 )
*十三回忌(満12年目の命日)
*十七回忌(満16年目の命日)
*二十三回忌(満22年目の命日)
*二十七回忌(満26年目の命日)
*三十三回忌(満32年目の命日)
*三十七回忌(満36年目の命日)
*五十回忌(満49年目の命日)
*戒名(1文字10万円/5文字平均→50万円)
昔から“坊主丸儲け"とはよく言ったものです。
果たしてこのような慣習は
本当に必要なものでしょうか?
わたしはシャーマン-靈媒師-として申すならば
真を理解している人には、
“一切必要がない”が答えとなります。
2018.7.18 神人 拝
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