【神人説 -不思議見聞録-】 〜2023.10.12 靈12

Q:靈人は亡くなった後、どこにいるのが望ましいのでしょうか? 

A:もしも愛する方が亡くなった場合、 

「わたしの側にずっといて良いよ」 

「わたしと一緒に生きて下さい」 

「わたしの近親靈になって下さい」

 と遺族が故人に伝えられたら、側にいる選択をされる可能性が出てきます。  

人は亡くなったならば、自由自在に移動できる世界に存在します。

どこに行きたいのか?居たいのか?誰に会いたいのか?何をしたいのか?は、

あくまでも故人の意思で決めることなのです。  

ですから故人によっては、本当は愛する人の側にいたいけれど、

居たら迷惑なのではないだろうか…?

気持ち悪がられるのではないだろうか…?

など考えられる方がほとんどです。  

また遺族側とすれば、

故人が未浄化靈となって幽現界を彷徨い続けられると困る…、

と思い込まれている方もほとんどです。  

それは日本のあらゆる宗教界が、

人は死んだら家や人への執着を手放し、

然るべき場所へと行かなければならない!

と長年に渡って洗脳したからです。 

ですから故人は、"愛する方々の側にいたい"という最後の欲求を満たすことができず、

苦渋の選択を迫られ泣く泣く離れられる方もおられます。  

本来であるならば、人は亡くなっても愛する人の側にいて、

悪靈邪靈から護る近親靈としての新たなお役目と学びをなされることが望ましいものです。  

しかし、命日をはじめお盆や彼岸しか遺族の側に行ってはならない!

と洗脳されて来たために、人を愛する、

愛する人のために何かしたいという思いは"執着=罪悪"とされてしまったのです。 

それは全く間違った教えであるとわたしは思います。 

遺族や人様に迷惑をかけるような靈性低き靈人であれば、

やはり然るべき場所へ連れていって頂くことが望ましいのですが、

そうでなければ、近親靈として側にいることが自然であり、

双方にとっても望ましいことである、とわたしは思います。  

わたしは縄文時代の靈人たちと対話して分かったことがあるのですが、

かつて、"人は亡くなっても愛する人たちの側にいることが当たり前であった"ということです。

 みなみなうれしうれしたのしたのし かわるかわるありがたいありがたい 


*真偽のほどは自問自答なされて下さい。 すべてのお計らいに感謝m(_ _)m 神人 拝


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