Q. 故人にあまり話し掛けると執着心を持たせることとなり、
未浄化靈になりやすくなるため、
靈界での修行に支障を与えると聞いたことがありますが、
あまり故人には話掛けない方が良いのでしょうか?
A. 故人に話し掛ける日は、
命日やお盆やお彼岸だけであると限定的に考えるのは、
非常に偏っている思想のようにわたしには感じられます…。
人を愛する気持ちを執着心であると捉えるのは、
とても悲しい思想ではないでしょうか?
愛するものを思い出してはならない、一切話し掛けてはならない、
そしてお互いのためにはならないというのは、
精神的な拷問に近いとわたしは思います。
人の最後の欲とは、"愛する者のために出来ることをしたい"ということであると、
亡き母は死後わたしに教えてくれました。
(※2018年 神人と亡き母との対話より)
死後も生前の関係性の延長として考えれば良いかとわたしは思います。
親しき関係であったならば、
死んでも親しき関係のままに付き合ってゆけば良いのです。
年に一度会うような関係だったのか、週に一度だったのか、毎日会っていたか、
それぞれの関係性に応じたコミュニケーションで良いかと思います。
仮に、数年に一度しか会わなかったような方や面識のない方に、
死後毎日のように話し掛けられても、恐らく故人も困惑するでしょうし、
逆に仲が良くて毎日のように会っていたのに、
年に一度や二度しか話し掛けてもらえなくなったら、
とても淋しい悲しい思いをするのではないでしょうか。
そもそも死後の修行という観念とは、
どこかの宗教団体が取り決めた一思想に過ぎず、
あくまでもその思想を共有したい方々の間にだけ存在する共通思想(集団妄想)に過ぎません。
縄文時代は、亡くなっても靈人として側にいて、
生きている人たちと共に存在し続けるという思想を共有していました。
(※2022年 神人と古代靈人との対話より)
ですから、すべては故人の気持ち次第なのです。
家族や友人の幸せを願い、悪靈邪靈から子孫を護るために、
それぞれの側にいて近親靈としての修行をしたいと故人が望めば、
そのような関係性ともなり、指
導靈が現次元界との関わり方について厳しく指導なさることでしょう。
現次元界とは一切関らず自由気ままに我が道を歩みたい方もおられますし、
付かず離れず偶に覗きに来るくらいの関係性を望む方もおられますし、
宗教靈団の指示に従い修行し続けたいと望まれる方もおられますし、
また早々に転生なされる方もおられます。いずれもみな分相応なのです。
*何を信じるか?は個人に与えられた信教の自由ですので、
真偽のほどは自問自答下さいますようお願いします。
すべてのお計らいに感謝m(_ _)m 神人 拝
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