〜亡き母との対話 縄文時代について〜
私:縄文時代を見てきてくれたか?
母:はい、見てきたよ。
私:太古の青森はどうだった?
母:凄く人々が生き生きとしてたな。 みんなが平和的で元気に生きているって感じだったかな。
私:具体的に言うと暮らし方とかはどんなだった?
母:例えば、食べ物は必要に応じて必要なだけを取ってきて、みんなで料理を楽しんでいたり、季節に応じた食材をよく理解していて、衣食住の全てが自然のものを上手く活用出来ている文化だった。 私:なるほど。言語はどんな感じだった?
母:話している内容はよく分からないけれど、普通に対話されていて、文字も使われていた。 ただし、紙というものがないから、土や砂地に書いて教えることがなされていたよ。 教材となるものは、木や石や土器で造られたものを用いていて、生きる上での教育がちゃんと子どもたちになされているようだった。 それぞれが分相応の仕事を分担作業でなされていて、みんなが明るく楽しみながら働いていたのが印象的だった。
私:みんなが楽しく働いている世界なのか。
母:そうだな。誰かにやらされて嫌々ながら働いている様子ではなかったかな。
私:なるほど、自分に出来ることを自ら進んで、みんなのために働いているといった価値観なんだな。
母:そうだね。とても平和な様子を垣間見たかな。
私:年代的にはいつ頃を観て来たんだ?
母:よく分からないけれどね、おそらくは、1万年くらい前まで観て来たのかな…。
私:青森のどの辺を観て来たんだ?
母:三内丸山、亀ヶ岡、是川とか色々観て来たよ。
私:人口はどれくらいの村だったんだ?
母:たぶん数十から数百人じゃないかな。 全部は数えてないからね。
私:そうか。宗教的なものはあった?
母:長のような人がやはり儀式的なことをして、精霊と話すようなことをしていたかな。星を観て時期を調べたり、太陽の位置を刻んだりしていたな。
私:暦のようなものがあったということか?
母:そうだね。季節や周期を調べて、季節の食べ物の採取を考えたりしてたんじゃないかな。
私:家畜はいたか?
母:犬が飼われていたのと、鳥も飼われていた。 食べるための家畜というのは見なかったな。 狩猟してきて直ぐに料理されていたと思う。
私:船はあったか?
母:木や植物を編んで造られたものがあった。 釣りはされていたね。貝を採る姿が多かったよ。ほぼ毎日食べてたんじゃないかな。
私:なるほど。貝塚とかあちこちにあるからね。
母:食事は、木ノ実や植物、魚介類がほとんどかな。獣肉は偶にだったな。汁ものが必ずあった。
私:汁もの?
母:山野草と貝の汁ものだな。
私:貝からダシが出るからね。 美味しいから頻繁に食べてたんだろうな。
母:縄文人の知識は、かなりもっと古くからあるようだったよ。衣食住の在り方をみても、非常に優れていると感じたから。
私:そうなんだ。デザインとかもお洒落だったか?
母:そうだね。色の組み合わせ方が独特で鮮やかな色合いだった。装飾品も女性たちには見られたし、髪型もよく考えられていた。みすぼらしさは全くなかったよ。縄文人は立派な文明人だと思う。原始的な生活をしている野蛮人とはかけ離れた人々だった。
私:やはりそうなんだな。生命の起源から始まり人類の歴史をもっともっと紐解いてみてほしいな。
母:まぁそのうちにまた観てくるからね。 私:宜しくお願いします。 母:はいはい。ではまたね。
2019.3.5 神人 拝
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