〜お釈迦さまの教えとは?〜
お釈迦さまの教えが「仏教」なのですが、
生まれ変わる必要のない存在となることを
目指した生き方を説かれたと言われます。
そして死後の教えは説いていないようなのですが…、
何が真のお釈迦さまの教えであるのか?というのは、
やはりご本人に直接聞かなければ分からないものです。
なぜならば、お釈迦さまの教えであるという証拠
となるものを提示することが既に出来ないからです。
お釈迦さま亡き後、真の教えが、
後世の者たちによって次々と改ざんされ、
隠蔽されたり、ねつ造されたりしながら、
世界中に伝播し枝分かれ致し、
あらゆる宗派と化してゆきました。
特に次々と生み出された偶像崇拝では、
御利益をうたって信者を取り込む勧誘が目につきます…。
「決して嘘をついてはならない」という仏僧に与えられている
基本的な戒すらも守られていないのです。
日本においては、もはや慣習化され葬式仏教となり、
インド仏教とも中国仏教とも
異なる独自の仏教的思想観に変わってしまいました。
仏僧においては、守られるべき「戒」は守られておらず、
修行することも仏法を広めることもされず、
葬儀における形式化された読経と儀式ばかりとなり、
ほとんどの寺院は世襲化され、
仏僧は経営と墓地管理に務めております。
また、仏法を学んでいない者、
戒を守らない者たちが、
死後、戒名(※本来ならば生きている仏僧のみが授与さ与れる)
をお金で買取り、仏教徒に成り済まして、
あの世にいる状態なのです。
そして靈人たちは、極楽浄土とされている靈界の一部の場に集い、
自身は転生する必要のない仏(悟りを得たもの)
の世界の住人となったと思い込まされたまま、
瞑想ばかりで何もせず居るのです。
人は生きていた時に学んだことが、
死後もずっと影響を受け続けます。
虚偽を学べば、虚偽の世界に存在するものとなり、
そして虚偽を説くものとなる道理です。
この世では、時代と共に、
真のお釈迦さまの思想に沿った生き方をする人というのは、
すでに廃れてしまっています。
少なからず優れた人格者もおられますが、
大半は形ばかりの仏僧で溢れているように思われます…。
誰が悪い訳ではなく時代と共に、
徐々に変わってきたという因果でありましょう。
真実というものは一つですから、
時と場が変われど変わることはないはずですが、
虚偽というのは、真実から外れ歪み続け、
終いには腐敗し廃れる因果となります。
何を、何のために、どのように拝むのか?
が改めて問われる世であります。
「何度でもまた、この世に生まれ変わり、
多くを学ばせて頂きながら靈性進化いたしましょう」 と、
今世に見合う教えを説き、ご縁ある方々と共に輪を広げながら、
わたしは生きて参りたいと思います。
みなみなうれしうれしたのしたのし
ありがたいありがたいありがたい
むーうーるーうーーー
2020.6.15 神人 拝
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