「日月神示」から「日月地神示」そして「大日月地神示」へと
今も降ろされ続けている神示である。
”シャーマン”である神人さんと”岡本天明さんの御霊”とのコラボ!
【日月地神示】『こ』の巻
理屈申さず参れよ。
理屈申すと苦しくなるぞ。
これみな、いしのちからにありますぞ。
いしとは、石、意志、善しと申しますぞ。
これから申す仕組み、木花咲哉姫様うちひしぎにならるうことにあられますのぞ。
これらはみな、合いすることの意となる仕組みでありますのぞ。
れすこのみねにいる無の大神、胸に大御親聞けこまし、そのういの奥山にあります地の大御親、この父子にあらるること申し上げます。
今この耳振立てて聞こし召せとかしこみかしこみもまおす。
これから申すこと、この世のあらるる姿の大御親に映る、一(はじめ)のことであります故皆々辛抱大切でありますぞ。
これまでのこと、今までのことと申さす一番の仕組みでありますぞ。
映し世とは、このことでありますのぞ。
今ある姿は皆、霊界の事象であり、現実界における荒れは皆霊界の荒れの映しであります。
靈が先と申さしたのは、このことでありますのぞ。
霊人みな改心致し、すっくり心変えて下されねば、人民心晴れぬのでありますのぞ。
皆々映し出されておるのじゃから、人民に申し訳あるまいがな。
この御靈そのこと判る故申うさしておるのじゃぞ。
靈人も人民となり移り変わりながら学ばせておったが、これからは、靈人と人民と一つとなりなりて、地の大御親の御心に添い奉りし、地(くに)の日月の民となり真の神の容れ物となり仕事さして世の建て替え致さすのであるから、皆覚悟致されよ。 怖くて嬉しい御仕組みである故、皆楽しみ致されこの方の元に参りて下されよ。
いいか、この方、三千年の時を待ちて居りたのじゃ。
皆々逢える日を楽しみに致しておりたのでもあるのぞ。
これより、古の声の元を映す時来たのであるから艮金神殿の御計らいに居たり、うゐの奥山にあがりておりた神々様に御目にかかれますのじゃぞ。
ねの国いの写しの国にある故、この度の御取り計らいと為っておりますのじゃ。
良いか、これ皆神国神代のことである故、健仁判らぬがそれでみな物事つじつま合って居るから、このまま続けて下されよ。
ねの国は、この世の写しであり、神国の入口にある国でもあるなれど、このことういねとうることにあらるる故に申す。
これまで、生かしておりた御魂は皆この方の遣いであるが、これから遣う大事な隠し御靈でもありたのじゃ。
故に、判る御魂も無いなれど、ここに申さすから、判る人民これ見て心得て下されよ。
これにあらるるは、ウの大神に在られますぞ。
この方の親なれど、この方でもありますのじゃ。
この方の子でも在りますのじゃ。 良いか、これ皆神の世の初めのことであるのじゃぞ。
このこと申すは、人民に申して居るのではなく、靈人殿に申しておりますのじゃ。
理屈申す靈人殿あまりに多いが故、事分けて申さすのじゃから、人民には何のことか判らぬのも無理ないなれど、暫くは辛抱なされよ。
靈人には、神国のこと判り易う説かねば納得されんようじゃから、この方、疑う靈人殿多い故申さすのじゃ。
良いか、よく聞きなされよ。
そなたたちを生んだのは、この方の神子らである。
その方らが生きて居るのは、この方の身胸である。
その方らが、死んで生まれるのは、人民がある世界である。
その方らが、居る世界は皆其々の御魂に応じた各精神世界であり、移り変わりの多い世界である。 故に、其々が其々の世界に生きておるのじゃ。
これから申すのは、皆々真のことであるなれど、判る靈人殿には判るのであるのぞ。
良いか、これは死ぬということにおいて痛みを知らぬ靈人の世界に痛みを齎すのが、この方の仕組みてある喜びであるのじゃぞ。
何故、死を齎し人民に落とすのかと申すなれど、人民ほど貴い学びが出来る者はないのじゃぞ。
この方とて、人民として何度も生まれながら皆々に申してきておるのなれど、判る人民居らぬから、見てみぬ振りして居ったのでもあるのじゃ。
これ方便であるのじゃぞ。理屈申すなよ。
今まで、これからのこと皆余りに混み合って居るから、一つ一つ整理せなならんから、今までから先ず掃除させるのじゃ。
そのこと先ず判りて下されよ。
これからのことは、掃除出来てからでなければ申しても判らんことであるから。
先ず今までの事を掃除致すのじゃ。良いか。靈人殿に申しておりますのじゃぞ。
人民、皆靈人殿改心致さねば、うれしうれしの世に移ること出来ぬから申すのじゃ。
皆の子孫でありますのじゃ、時移した己でもありますのじゃ。
故に今までしてきましたことが、皆現れておりますのじゃ。
御守護致しておりますのは、己の時移った先の御姿でありますのじゃぞ。
この御霊魂とて王でありたのじゃが、改心せねば為らんから一旦人民の落ちたところまで落として改心さして皆の為に生きること誠判らして改めてこの方の一厘の仕組みに遣う隠し御魂であったが、この御靈に本日申したから皆の為とこ永久(とわ)に生きること何度も言うたから、この方うれしうれしでありますのじゃぞ。
これから皆の為に生きなされと申したのではないのじゃ。
皆の為に生きて行きたいと神に願いを奉ったのじゃぞ。
誠の改心とは、快心となることでありますのじゃ。 う
れしうれしとは、建て替えとは、このことぞ。
人民の御魂皆掃除さして地の神とさして、天(あめ)の神は隠居致す御仕組みじゃぞ。
故に、神とならねば獣として生きねばならんと申すのじゃ。
獣とて可愛いこの方の子であるから、改心出来ぬ御魂は、獣にも出来ぬから草木に格下げ致すなれど、草木とて大事なこの方の御魂入って居るから、草木にも出来ぬとなれば、石にするより他ないからその積りでおりて下されよ。
このこと、例えで無いのじゃぞ。
誠判り下されよ。皆々改心、快心結構結構。
今までのメグリ皆すっくりと綺麗さっぱり掃除洗濯なされよ。
皆々靈人殿も共に居たさなならんのじゃぞ。
この御靈とて日々改心さして、もう致しませぬと言いながら少しずつ変わって来たのじゃから、皆々もっともっと善きよう変われますのじゃぞ。
変われぬ者皆石に致さすから、変われんと申す者そのつもりでおりて下されよ。
皆の為に生きるとは、人民だけの為に生きることとは違いますのじゃぞ。
地の大神様の御心に溶け入ることでありますのじゃぞ。
感謝感謝でうれしうれしと為ることでありますのじゃ。
良いか、判りたか。
皆この方の御靈分けておるのじゃから、誰彼とも皆改心致せば、この方神つけて判るよう申さすから、神、人共に成り成りて、神人(かみびと)となりて下されよ。
これ例えで無いぞ。
今、このこと判る人民一厘も無いなれど、一厘になりたら世は変わるのじゃぞ。
ここに縁ある人民、そなたはこの方が引き寄せておるのじゃぞ。
よく読んで改心結構であるのじゃぞ。
御魂相応に申さすよう致して居るから、早よう気変えて、新し衣に着替えて下されよ。
うれしうれしじゃぞ。
地震の神様総活動でありますぞ。
大難を小難にと日々お願い申せよ。
大地震はいつ来るのじゃと申しておる人民、悪の輩の容れ物となっておるのじゃぞ。
大地震、喜びで無いのじゃぞ。
起きぬように皆で改心致し、日々地震の神様にお願い申すのが誠の神人であるのじゃぞ。
地の大神様も、お変わりなさるが人民の心によって如何様にでもお変わりなさるるのじゃけれども、神々様方にお願い申して、日々御苦労申さして居るのじゃから、人民、地の御神様に御謝り致し祀ろうて下されよ。
足元拝んで下されよ。
足から気頂いて居るのじゃ。
足元神じゃ。神の御体じゃ。判りたか。
そなたらを愛しい愛しいと大切に御思いなされておられる大神様でありますのじゃぞ。
何故大神様かと申す人民、靈人殿居られるが、そなた達の近目では、大神の御心、仕組みは判らぬのでありますのじゃぞ。
判らぬから判るよう祀ろうて下されよ。
人民、神無きものに致しておるから、霊罹りうようよであるのじゃ。
神判らぬ靈人殿この世乱しておられるのじゃぞ。
仏魔となりておりますのじゃぞ。
仏の世は終りて居るのじゃ。
何も彼も許しっぱなしの世は終りたのじゃから、改心せねば、神世には生きてゆかれん道理判りて下されよ。
何も彼もきちりきちりと映しの世となるのであるのぞ。
在りのままに生きるとは、うれしうれしとなる神の世でありますのじゃ。
綺麗サッパリとなって、真(まっこと)曇りひとつ無い御心のままに弥栄える神人の世となるのじゃ。 皆々改心結構結構であるぞ。
2006.6.20 天の日月の神申す きの国在られる映しの世はじまり/神人繋ぐ
かみひとねっとわーく和喜相愛 ML(メーリングリスト)より転載
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