〜日本のシャーマンが教える
スピリチャル世界のタブーとは!?③〜
◆釈迦が書き記したものは実際のところ何も存在しない。
経典は後世の者たちが想像して書いたものに過ぎないのである。
◆葬儀にて経を唱えられても故人の殆どは喜んでいない。靈人ら曰く全く心に響いてこないそうである。
◆初七日〜四十九日〜一周忌…慣例化された法要をしても御靈は家に居ることが殆どである。
死後の世界を理解しようとしない御靈は自身が変わることをとても恐れるもの。
◆法要とは六道の教えであるが、死者はみな地獄に堕ちて一週間毎に裁判に掛けられるという昔の中国にて考案された作り話を日本が輸入したものであり、全て偽りである。
◆偶像は偶像に過ぎず拝む対象ではない。
偶像はあくまでも誰かの美術作品に過ぎず、崇拝する価値がない。国を挙げたお陰信仰によるマインドコントロールの賜物である。
◆釈迦の教えを守っている僧侶は残念ながら殆どいない。
僧侶は偉いわけでもなく見掛けや肩書きのみで経を唱え、真の釈迦の教えを理解致して生きている人は非常に少ない。
◆経によって救われる御靈は、実際のところ殆どいない。
真相は、読経により仏教靈団が現れ、故人に対し靈団の一員として修行することを強要するのみである。
◆死後の戒名は、実際には何の意味もない。
修行するためには新たな名前が必要であり、仏教徒以外は死後救われないと民衆を洗脳したに過ぎない。
戒名を知り己の名前を言える靈人は殆どいない。
◆位牌の中に故人の御靈は宿っていない。
実際、木片に魂が閉じ込められたなら正に監禁地獄である。
真相とは、御靈は自由自在に時空を移動する存在となる故に位牌の中には魂は存在していない。
◆お墓には故人の靈は眠っていない。
誰も来ない暗く冷たく淋しい墓の中で好き好んで居続ける御靈は極めて特殊な者たちである。
位牌同様に、御靈は自由自在に時空を移動する存在となる故に墓の中にはいない。
♪私のお墓の前で泣かないで下さい。私は其処には居ません…♪
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