古代日本には各部族に天皇がおりました。
天皇とは、皇でありシャーマンの長のことを指し、
異次元世界と繋がり靈団と交渉することができ指導靈からの教えを顕在化させる真の政をしていた人のことです。
政とは本来ならばそういうものであり、
現代のように民だけで話し合い多数決で決めるものではありません。
多数決とは、もしも間違った思想を誰かに洗脳されたならば、
皆共倒れとなるものでもあるのです。
事実として悪多数決の世となり社会は歪んできております。
この地には、かつて16,000〜18,000年もの間続いたとされる縄文時代がありました。
土地を所有するといった観念があまりなく、季節に応じて移動し狩猟採取をしながら先住民たちはとても平和に暮らしていました。
そこへ大陸から渡来してきた人たちによって先住民は次々と生活圏を奪われ、
北へ南へ、山へ島へと追いやられてゆきました。
先住民の中でも逃げることも闘うこともせず渡来人と同化することを受け入れた人たちは、
定住化させられ稲作のための労働力として使われることとなり、
弥生時代へと移行していったのです。
その後、土地の所有権を巡り渡来人と先住民との戦さは各地で起き続け、
渡来人たちの支配拡大に伴い世の荒廃は加速してゆくのです。
そして、各地各部族にいた皇を廃止させ、
大和の皇ひとりだけとし一切の政は朝廷が行うとする中央集権国家を目指した国造りが、
西へ東へと推し進められていったわけです。
朝廷に従わない人々は、
すべてエミシ(蝦夷)と呼ばれ、
朝廷の傘下となった豪族たちには手柄に応じた冠位を与えて、
豪族たちの差別化を図ってゆき、
エミシに対して服従させるか?滅ぼすか?を命じていったのです。
国造りとは平和に暮らしていた人々を無理矢理に隷属化するといった侵略行為のことであり、
本来ならば美化されるものではありません。
いつの世も勝者の歴史であり、
改ざんと隠蔽の歴史であるということは、
皆様がご存知の通りです。
その後、各地域各部族のシャーマンたちによる政は無くなり、
朝廷が定めた皇を唯一とした中央権力に追従させる形の政へと移行してゆきましたが、
当然のように皇族の中に各豪族たちは入り込み同化しながら、
派閥が生まれ権力闘争も劇化してゆくわけです。
人は真の政がなされずに支配するか支配されるか?という価値観の世界では、
自然な靈性向上が妨げられ、
生理的・社会的欲求を満たすためだけの奪い合いを主とした観念が心を支配し愚民化してゆきます。
それは獣の世界とさほど変わらない社会でもあるのです。
時は流れ天皇や皇族から貴族へ、
そして貴族から武士へと権力は移り変わり、
世界金融と手を組んだ明治新政府が誕生し、
神社神道を国教に掲げ、また新たに天皇を中心とした政をし始めました。
そして国民に神社崇拝を強制しながら統括してゆく中で、
天皇もまた明治政府の定めた政にならいながら、
ようやく伊勢内宮を参拝するようにもなります。
天皇や神社という言葉は、明治時代からであり明治新政府が作った造語なのです。
それまでは、天皇はスメラやミカド、
神社はヤシロやモリとも呼ばれていました。
“明治時代まで、天皇が伊勢を参拝されていない”ということもまた知っている国民は、
いったいどれだけおられるでしょうか? 記紀の日本神話から始まり、
神武天皇〜明治天皇までの歴史において、
本当に嘘偽りは無かったかどうか?現代日本に生きるわたしたちは、
ひとつひとつ国の歴史を見直さなければならない大きな節目の時代にいるのではないでしょうか?
日本人としての正しいアンデンティティを得るために。
2018.3.4 神人 拝
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