Q. 神棚に神さま(御神靈)は居られるのでしょうか?
また神棚とどのように関われば良いでしょうか?
A. 神棚とは、各家庭や各店舗にて祀られており、
神社の簡略化したミニチュアのような神具等が飾られてある場所でありますが、
神靈は宿ってはいません。
目的としては、自身の気持ちを手向けるための目当てのひとつであり、
気力を助長するための行為の一つとして、
人は神棚の前で手を叩き、願う・祈る・誓うのでしょう。
その目当てが、仏壇の前で仏さまに語る方もおられれば、
外に出て、お日さま、お月さま、お星さま、
お山さまを目当てに拝む方もおられれば、
過去の権力者靈や有名人靈を拝む方もおられますから、
つまり対象は何でも良いということになります。
(※分相応に拝みたいものを拝めば良い)
神棚の前で手を叩いておられる方のほとんどは、
神棚にて祀っている"神社で購入してきた御札
(御祭神名が記載されてある紙:※使用期限1年間)
に向かって語りかけている"訳ですが、
御札に記載されてある文字は、御祭神=信仰対象であり、
それは各家庭・個人にて異なります。
ということは物理的に見れば、人は印刷された文字
(又は手書き文字)を拝んでいるのです。
ですから、文字を目当てにして拝みたい人は、
神棚の前で拝めば良いということになります。
ですが残念ながら、神棚には神さまは居られません。
なぜならば、神さまとはあなたの願いごとを聞いて下さる存在(人靈)
ではなく、生命(あなたの命)を司る仕組み
・存在・エネルギー・顕れであり、
現次元界における顕れは宇宙、星、地球、自然、森羅万象なのです。
ですから、神さまとは正しくは「自然神」を意味し、
「人神=人靈」ではありません。地球=神社なのです。
神棚であれ仏壇であれ、目当てとする場はいずれも、
おのれを生かして下さっていることに対する
感謝の念等を手向けるための空間であり、
おのれの心を見つめるための空間、
祈り場であると考えられれば良いでしょう。
であるならば、特に目当てを必要とせず場所を問わず、
ただ目を閉じて瞑想することも、同様の祈りの形となります。
また、神社や神棚には鏡(かがみ)が置かれていますが、
自身の心を映し出すもので、
我を外すことで神(かみ)となるという話をよく耳にします。
鏡の起源を遡れば古代中国であり、
当時の鏡は道教の呪術道具のひとつでした。
ですから元々は、古代中国の傘下(同盟国)となった
証として授けられたものが、日本の最初の鏡(銅鏡)なのです。
鏡には、道教(陰陽道)の神獣(青龍/朱雀/白虎/玄武)が描かれてあり、
それを社に祀るということは、
古代中国思想を古代日本が取り入れた証となります。
→古神道(神社神道)の形成の始まり。
その後、更に古代中国思想(陰陽道)の影響を受けて、
御守り、御札、鏡、御神籤、厄祓いの儀…
等が次々に体系化されてゆきました。
ですから、鏡は太陽を象徴するもの、心を映し出すもの、
という解釈はかなり後世になってから日本で後付けしたものであり、
本来は古代中国思想の傘下となった証とし
て社に鏡(銅鏡)が祀られるようになったのです。
鏡が太陽であるとするならば、太陽を直接拝めば良く、
心を映し出すものとするならば、
場所に囚われず瞑想し内観すれば良いのです。
*何を信じるか?は個人に与えられた信教の自由ですので、
真偽のほどは自問自答下さいますようお願いします。
すべてのお計らいに感謝m(_ _)m 神人 拝
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