〜シャーマンとして何が出来るのか?〜
わたしは異次元存在や異星人と話が出来ます。
その事実は20年以上の間、わたしにとっては日常のこととなりました。
世間からは、ただの変わり者と見られています。
社会的な地位も名誉も権力も財力もありません。
わたしは青森から東京へ、東京から関西へと引っ越す度に、その土地の言語や文化に触れ、
次第に慣れ染まり生きるようになりました。
そのように人は、どんな変化・状況にもいずれは慣れ適応してゆくものです。
自身の変化に応じて人間関係もまた、理解し合い親しくなる人も出来れば、
理解し合えず離れてゆく人もいます。 それは靈媒体質であろうとなかろうといずれにしても、
人間関係とは価値観の多様性の中で好き嫌い、合う合わないの振り分けがなされてゆきます。
わたしはわたしを受け入れ、自身の特性を理解し生きてゆく覚悟が持てるか?否か?
という問いに対し、何年間もの葛藤の末に選んだ答えは、
「わたしはわたしを受け入れ生きてゆく!」でした。 その反対の選択は、死でした…。
だから、たとえ誰に笑われようとも、誰に否定されようとも、誰が離れてゆこうとも、
わたしは生きることを選んだ以上、これからも自身の特性を追求し“自身を活かしてゆきます。
20年前のように二度と自身の存在意義を自己否定したり卑下したりはしません。
それは決して自己顕示欲や過信などではなく、わたしがわたしとして生きてゆくための理由なのです。
それが、神人=シャーマンとしての活動に繋がってもいます。
異次元世界が視えていることも、聞こえていることも、感じていることも、
長年体験し続けていること事実であり、誰にも否定されることではないのです。
但し、それらから得られる情報に対しては、真実なのか?虚偽なのか?ということについては、
いずれも“ある”ということを真摯に受け止め、常に審議しなければなりません。
何故ならば、異次元存在であれ他星人であれ、
嘘を言ったり真を理解出来ていなかったりすることが事実としてあるからです。
いわば、異次元存在であれ異星人であれ地球人であれ、
自分が同等に相手と対話出来る者にならなければ、
虚偽に思考操作される危険性があるということは否めないのです。
そして自身が審議を怠れば、過信であり傲慢さとなり、ただの自己顕示欲の顕れとなるでしょう。
それこそ陳腐な存在となることを、わたしはよく理解しています。
既存の宗教のいずれも、教えの出所に於いて真偽が定かではなく、
すべて見直しが必要であるとわたしは断言します。
また、異次元世界に無知である現代科学においても同じく未熟であるとしか言わざるを得ません。
地球人全体が、精神的にも科学的にもまだまだ未熟なのです。それが真実です。
ゆえに地球は、問題が山積みなのです。
わたしはシャーマンとして、地球の問題に向き合い自身に出来ることとは何か?と考えてみました。
しかし残念ながら、自分に出来ることはとても限られており、
ひとりでは大したことが出来ないということも悟りました…。
ですから、異次元世界から得た知識を“他に伝える”ということだけに集約されることも理解しています。
そしてあとは、伝えた人たちに“委ねる”ことしか出来ないことも。
もしも伝えた人たちが、聞かなかったことにすれば、わたしは伝えなかったことと同じ結果ともなります。
但し、わたしが死ぬ時は「自分がやれるだけのことはやった!」と自己満足は得られることでしょう。
ですから、わたしはわたしの喜びのために生きているとも言えます。
話し合い理解し合い共に変わりゆくこと。
ひとつひとつ真を世に拡げてゆくこと。
それがわたしの生き甲斐であり存在意義です。
みなみなうれしうれしたのしたのし
かわるかわるありがたいありがたい
むーうーるーうーおー
2019.5.29 神人 拝
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