〜浄靈浄化に対する考え方〜
浄靈浄化の仕方についてのお問い合わせをこれまでも多くの方より頂いてきましたが、
どのように考えたら良いのか?お話させて頂きます。
不快に感じる念や氣は、今の自分とは合わないゆえに、
苦=不快感として顕れているということなのです。
しかしそれを糧にして自身が変わるか否か?
といった選択の仕方を問われている=問題提示されているとも受け取ることができるのではないでしょうか?
すべての現象を、今の自分に与えられている課題ととらえてみるとどうなるでしょうか?
選択の仕方すべてが、因果として顕れてくる仕組みであり、
過去の自身の考え方や言い方・行い方は、
他との関係の在り方によって変化し顕れるものであり、
現次元存在であれ異次元存在であれ、他存在である対象はいずれも同じなのです。
自分がどのように他と関わっているのか?が常に問われています。
例えば、自身の思いを他に一方的に押し付けたり、
他の思いを軽視したり無視すれば必ず嫌悪の念を受けることになります。
悪く言われるには原因が必ずあるということです。しかし、そうなることを事前に理解した上での選択であったとしたならば、それは必要苦として受け入れなければならないということでもあります。
今の苦しみは、いったい何を示唆しているのでしょうか?
他のせいにして他を悪く言う前に自身の在り方を顧みることは成長してゆく上でとても大切です。
・己は善で相手は悪だと思い込んではいないでしょうか?
・相手に対する配慮が欠けていないでしょうか?
・狭い価値観に囚われてしまっていないでしょうか?
◇ 焦らない
◇ 押し付けない
◇ 捉われない
◇ 悲観しない
◇ 争わない
多くの人たちは、他を慈しむ学びの中に存在し葛藤しながら苦しみ変化し続けているようにも感じられます。
“目の前に顕れるすべての現象は自身の成長のために在る”ととらえ、
「学ばせて下さりありがとうございます」と感謝の念に意識を手向けられると、
苦が苦ではなくなり新たな喜びをもたらす糧としてありがたく感じられるようにもなります。
“苦を手放す生き方”=“感謝を広げ深める生き方”
その自身の思いの在り方こそが、浄靈浄化の氣に繋がっているのです。
みなみなうれしうれしたのしたのしかわるかわるありがたいありがたい
あーわーやーらーわー うーるーうーるーうー
2018.8.10 神人 拝
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