Q. 読経することによって、故人の癒しとなっていますでしょうか?
A. お経を読むことに関して、
どのように捉えれば良いのか?は個々の判断次第です。
自身がお経を学びたいと思い、読経することは、
読書であり音読と同じです。
もし故人に対してお経を読み聞かせるつもりであるならば、
・読み手側が意味を理解しているのか?
・読み手側の気持ちの有り様はどうか?
・読み手側の心身の状態はどうなのか? ということが、
聞き手となる故人や周囲におられる遺族&参加者に影響を与えることとなります。
読経とは、俯瞰するならば"歌を歌っている"ことと同じです。 歌詞がありメロディがありリズムがありますので、立派な音楽なのです。 で
すから、歌詞の意味を理解していなければ、
聴く側も歌詞の意味は分かりません。
メロディやリズムがずれていれば、ぎこちなく感じて気持ち良くありません。
完成度を求めるならば、ライブが良いのか?CDが良いのか?
ということも問われてきます。音だけを求めるならば、
有名な僧侶が読経されるCDを流せば良いでしょう。
もしライブで行うならば、
演者がどのような気持ちを込められているのか?いないのか?
によっても、感動するか?しないか?聞き手の感じ方が全く異なってきます。
また心身が健康でなければ、
歌声のエネルギーに余裕を感じられず負の念(邪念)が入り込み、
心地好くはありません。 「読経に対してどのような印象をもたれますか?」と、
わたしはシャーマンとして故人たちに聞き取り調査をしたことがあります。
みんな共通して「意味が分からない=意味不明」と答えられます。
意味が分からないのであれば有り難みはないということです。
しかし「音だけは心地好い」とも答えられます。
ですから、読経とは音楽なのです。 ということは、読経する意味とは、
故人ならびに遺族や参加者の悲しみの心を癒すためにあるということになります。
昔は、音楽を聴くためのオーディオ機器などはありませんから、
人の声と奏でる音で儀式が行われ、悲しみを癒した訳です。
では、読経は癒す音楽であるならば、
他の音楽でも良いということにもなってきます。
クラシックなどの静かなヒーリングミュージック、
自然音などの環境音楽でも良いのです。
又は、故人が好きだった音楽を流して良いでしょう。
最善な方法は、故人を想い唄うこと、合唱することではないでしょうか?
それは双方の悲しみを癒すためであり、感謝の念を手向けるためであり、
来世での再会の願いを込めて、みんなで心を込めて唄うのです。
*何を信じるか?は個人に与えられた信教の自由ですので、
真偽のほどは自問自答下さいますようお願いします。
すべてのお計らいに感謝m(_ _)m 神人 拝
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