〜宗教的慣習について〜
人が死んだならば いったいどうすれば良いでしょうか?
死とは誰もが必ず通る道ですが あなたはどこまで考えていますか?
読経はいる?いらない?
戒名はいる?いらない?
葬式はいる?いらない?
お墓はいる?いらない?
数珠はいる?いらない?
法要はいる?いらない?
仏壇はいる?いらない?
お盆はいる?いらない?
彼岸はいる?いらない?
すべては過去の人によって作られた慣習(=作り話)です。
(※そしてすべてにはお金がかかります。)
「いる」と思えば「いる」 「いらない」と思えば「いらない」 それが“答え”となります。
「いる」と思う人は「いる」と思い込まされた人であり、
「いらない」と思う人は思い込まされていない人であるとも言えます。
世界的に見れば、そのような宗教的慣習のほとんどが日本だけにしか見られないものであり独自なものであるということを、いったいどれだけの人が理解しているでしょうか?
いずれも宗教儀式的なものですので、
ビジネスとしては擁護されており税金対象とはならないものがほとんどです。
坊主丸儲けとは事実であり、寺院の檀家ともなれば墓終いしない限りは、
世代を越えてずっと半永久的にお金を搾取され続ける仕組みとなっています。
日本人は死んでからも30〜50年お金がかかるように半強制的に江戸時代より慣習化されてきました。
慣習に背いたならば、
西洋の魔女狩りのように不義理な者として不当な扱いをされたり村八分にされたり、
罪悪感を抱かせるように洗脳されてきています。
各宗教団体による故人供養・先祖供養という名目の仮面をつけた拝金主義的な慣習が、
檀家制度における一番の問題点なのではないでしょうか?
それらの宗教的慣習の見直しが必要な時代になってきていると思います。
わたしは20年間に渡り誠心誠意シャーマン(靈媒師=現次元世界と異次元世界を繋ぐ役目)を務めさせて頂いてきた者として言わせて頂きますが、
日本がより良い健全な国となるためにも、
日本人の宗教に対する意識改革が必要であると懇願いたします!!
2019.1.6 神人 拝
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